県外に嫁ぐということ

私は県外に嫁いだ。

私の実家へは
飛行機を使わないと帰れないから

母の葬儀に参列できたのは
夫と子供だけ。それは仕方がないと思う。

帰ってきてから自宅のリビングに
小さな仏壇を置いた。

だけど半年たった今日まで
私以外に線香をあげた人はいない。

正直、その事が
かなり自分の中で溝になっている。

分かってる。
線香なんて、言われてあげるものじゃない、

そもそも、誰かに線香をあげてほしくて
仏壇を置いた訳じゃない。
自分がそうしないと気持ちがもたなかったから
せめてもの思いで仏壇を置いた。

だから、絶対に強制はしない。

しない、、

だけど、、

葬儀にも参列できなかったから、
せめてここで、、ってならない神経に
どんどん幻滅が募ってしまう。

ここの土地は、文化や風習も全然違う。
きっと、そのせいだと思いたい。

だけど、思い知らされるのは
この人たちにとって私の母の死は
何ともないんだよな、、という事だけ。

ま、そりゃそうなんでしょうけど。

気遣いの言葉ひとつ、かけられたことはない。

そういう、湿っぽいのが苦手な土地柄なんだ、
いつも通りに!が一番の優しさと思っているんだ、

そう思うようにしているけれど

やっぱり私には理解ができない。

ある日、夫は
仏壇の上にカギとタバコを置いていた

あなたにとっては物置ですか。

母が作ってくれたお味噌
今も我が家の冷蔵庫にあるけれど

そのお味噌汁を飲んだ夫が

『もう今となっては貴重な味噌だな!!』

。。。


夫も含め、こちらの家族からしたら
私の母の死は

過ぎたこと、なのでしょう。

きっと、そこの違いなのでしょう、

もともとプラス思考で
デリカシーのない一族でしたが

さすがに、弱ってるときはしんどいです。

地元に帰りたいです。

母の死を悲しいと思ってくれてる方のそばに
居たいです

一緒にメソメソしたいのではなく
前を向くために
同じ悲しみを抱いてくれてる人が
そばにいてくれると、それだけで救われます。

県外に嫁ぐということ。

色々と思い知らされてきましたが

人の死に対しても
ここまで感覚が違うと

一生、馴染める気がしません。

私はよそに嫁げる器じゃなかったんですね

今更気付いても、もう遅い。

自分が選んだこと。




帰りたい。地元に。